中居正広の最悪スキャンダル

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なぜ飯島三智にケツを拭いてもらうのか

ジャニーズタレントの熱愛・恋愛スキャンダルはいろいろあるが、その中でもっとも後味が悪い最悪スキャンダルといわれているが、中居正広のアレだ。今もネットで何度も蒸し返されている“中居正広・中絶強要事件”である。

この中居正広の中絶スキャンダルをスクープしたのは『噂の真相』だった。2000年12月号に、中居正広との交際やジャニーズ事務所の介入によって堕胎を強要させられたというNさんの告白を掲載した。

続く2001年1月号では、中居正広とN子さんの電話のやり取りをあらためて誌上に再現。さらに同誌のサイト「WEB噂の真相」では、その音声ファイルまで公開した。そのファイルはネット上で入手できる。

経緯をまとめている『ジャニーズ恋愛相関図』から抜粋しよう。

ジャニーズタレント・中居正広とN子さんが出会ったのは1996年。

以前からジャニーズタレント・中居正広のファンだったNさんは、たまたま飲み屋で出会った中居正広に声をかけ、その場で携帯電話の番号を教えたという。中居正広からの電話はすぐその日の夜にかかってきた。
以前からジャニーズタレント・中居正広のファンだったNさんは、たまたま飲み屋で出会った中居正広に声をかけ、その場で携帯電話の番号を教えたという。中居正広からの電話はすぐその日の夜にかかってきた。

中居正広にとってNさんは、好みのタイプの女性だったのか、すぐに遊ぶ約束をし、それから中居正広とN子さんはそれほど時間もかからずに男女の関係になったという。

それからも中居正広とN子さんの交際は順調で、中居正広は多忙な仕事の合間を縫ってせっせとN子さんと会っていたようだ。

中居正広とN子さんが会うとき一番多かったパターンが、予約を取ったN子さんが先にホテルに入り、後から仕事を終えた中居正広がホテルにやってくるというもの。

「(中居と2人で会うのは)『笑っていいとも!』の前日が多かったです。スタジオアルタは新宿ですからね。帰るときは中居クンが先に出て、20分くらい待ってから出るように言われました。ホテルはセンチュリーハイアット、京王プラザといろいろでしたが、中居くんはセンチュリーハイアットがお気に入りだった」(『噂の真相』2000年12月号でN子さん)

これだけなら、アプローチしたのはN子さんなのだし、まあありふれたお付き合いである。

だが、そこから中居正広の行動はエスカレート。彼女の自宅家に通うようになり、それからまもなくN子さんは妊娠。中居正広にそのことを伝えたのは2000年9月24日だった。

すると、以後の中居正広の態度がガラッと変わった。中居正広は中絶を執拗に勧めたという。説得にはマネージャーまで介入。「イイジマ」と名乗ったというが、これはSMAP担当の飯島三智女史だろう。


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同年10月半ば、Nさんはやむなく中絶手術に同意する。人工中絶同意書にサインを求めると、中居正広は「偽名じゃだめなのか」と聞いたという。自分がタネをふりかけたという責任はどうなったのか。

さらに、カネで解決するようことは絶村しないと話し合いの席で言っていたにもかかわらず、手術当日、中居正広はNさんに30万円入りの茶封筒を無理矢理渡すのだ。

「そんなことで責任を取ったと思われたくなかった。お金目的だったら黙って生んでました」(前出『噂の真相』でNさん)。

それだけではなく、手術後、両親に事の経緯を漏らしてしまったNさんに、中居正広は両親に釈明をすることを約束。だが、それも守られなかった。

中居正広にも言い分はあるかもしれないが、妊娠させてしまったことや、中絶を強要したことに対して責任を感じない態度は誰が見てもおかしい。そして、自分のことだというのに、なぜマネージャーが出てくるのか。

妊娠というのはそれ自体、命がけの行為である。そして、生まれた子どもにとっては、どんな親であっても、その子どもにとって生涯親は親なのだ。

妊娠後のリアルな経過は、改めてその自覚と責任と誠意のなさを知ることができる。
ジャニーズ恋愛相関図
『ジャニーズ恋愛相関図』(鹿砦社)
に詳しくまとめられているので、ファンはぜひご一読いただきたい。
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